伊藤房太郎の弟、父治助の五男。明治十六年(一八八三)生れである。兄の病死により、十四歳で家督相続。若年であったので、十八楼の経営は老年の父治助が補佐した。
第一次世界大戦(大正三年〜七年、一九一四〜一八)後の好景気により、長良川畔の旅館は関西方面からの鵜飼客で非常な賑わいをみせた。
十八楼も、この好況で大繁盛し、末吉は十八楼を、当時、珍しい三階建に新築した。内部には、当時珍しかった大理石の大浴場と滝があった。
また、三階建物の傍らに、「芭蕉の間」と呼ばれる瀟洒な萱葺の建物があり、芭蕉木像を安置して、翁ゆかりの品が展示されていた。
しかし、喜六は昭和八年(一九三三)、改名三年後、五十歳で死去した。
三階建十八楼 |

絵はがき
「三層閣・四季眺望絶佳、水面五丈滝および大浴場」とPR文句にある |
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十八楼の広告
「長良川鵜飼観覧案内」(大正3年・1914)より |
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